私は長い間、非嘔吐過食という摂食障害でした。
依存症を発症したのは幼少期だと思いますが
問題が表面化したのは高校生の頃からでした。
過食というと食べ続けるというイメージかもしれませんが
過食と拒食を繰り返すケースも珍しくないと思います。
拒食をしたから我慢した分の反動で食欲が湧いたり、
足りないカロリーや栄養を補おうとする本能で過食になることもあれば
過食をしたから埋め合わせるために拒食になることもあります。
私は過食と拒食を交互に繰り返していたので
標準以上に太っている時もあれば
標準以下に痩せている時もありました。
私の場合は、痩せている時は見た目だけで批判されることはあまりないように感じましたが、太っている時は外見だけで批判的な評価を受けるリスクを感じました、あくまで私の場合での話であって、対人関係や普段の言動など体型以外に私自身の原因もあったのだと思います。
現在は体重が増えても別にいいやと思うようになって
多少の食べすぎはあれど過食は起きていません。
いつ過食が再発するかわからないので、食事は食物繊維とたんぱく質でガードしてから炭水化物を摂る、間食はしない、間食したい場合は低脂質高たんぱく質のものにするという対策をとっています。
私が非嘔吐過食症に陥った原因
私がなぜ非嘔吐過食+拒食(嘔吐なし)という食物依存症に陥ったのかというと
機能性低血糖があるからだと思います。
遺伝で元々耐糖能が低くてインスリン抵抗性を発症しやすい体質だったのかもしれません。
因子を持っているからといって絶対になるわけではないけど先天的に、生まれつき過食症になりやすい体質というものが存在すると思う。
私はリスクの高い体質+ストレスで摂食障害を発症しました。

どんなに過酷な環境でも先天的な体質という要素がなければ摂食障害にならなかったかもしれないし、先天的要素に発症原因となるストレスが加わっても自分の体質を知って予め対策していれば依存症にはならなかったのかもしれません。
たまたま発症する要素が揃ってしまったのだと考えています。
何も知らない大人たちが子供相手に責める
今だったらインスリン抵抗性、機能性低血糖、糖質を摂りすぎないようにする、たんぱく質を積極的に摂るなど、インターネットで対策を知ることができます。
しかし私の時代は何も情報がなく、私は低血糖ではないか?と病院で医師に聞いても昔の時代は「糖尿病の薬を飲んでないからそれはないよ」という回答で、具合が悪いことを相談して血液検査や尿検査をしてもらっても全て正常でした。
太りやすいこと、ものすごくお腹がすくことに対して、当時子供だった私が自分で考えて対処するしかありませんでした。
子供相手に、周りの大人たちはただただ否定して責めました。
不摂生、性格の問題や怠慢、運動不足と非難され
太れば怒られて、痩せても怒られて
運動をしたらしたで怒られました。
「普通に食べて普通に生活していればそうならないでしょ?」と。
普通の人ならそうなのでしょう。
怒られても悪化するだけで改善に繋がらないと思います。
摂食障害とはたくさん食べたから太るという単純な話ではありません。
同じ依存症じゃないと気持ちはわからないよ。
私は依存症だから他の種類の依存症に対して批判しないことはできる、でも癒すことはできない。
同じ種類の依存症になってみないと、なぜ依存してしまうのか想像はできても事実とは違う。
何も情報がない中、子供の私が妥当な対策をしていた
私には吐くという発想はありませんでした。
好きなだけ食べて1日に1000キロカロリーを運動で消費するという方法を取っていました。
その後はカロリーを極力まで節制して1日に1000キロカロリーを運動で消費していました。
子供ですから周りの大人に責められるがままに自分が悪いのだと思って
元々キツイ慢性疲労があるのに、やりたくもない運動を
雨が降ろうが雪が降ろうが毎日欠かさずやっていました。
ここまでしても特別痩せているわけではなく標準体型でした。
人生は壊れましたが、身体は壊れませんでした。
情報がある今の時代なら、もっともっと良い方法はありますが
当時の状況の中では悪くはない方法だったと思います。
摂食障害に関しては誰も味方がいない中で子供の私が一人で考えた代償行為が運動だったから身体を壊さずに済みました。
私は非嘔吐過食症でもありましたが非嘔吐拒食症でもありました。
昔は拒食症になってしまったことを後悔したけど今思えば非嘔吐過食に対して身体を壊さない方法を選んでいたことは財産だと思います。摂食障害による体への後遺症は特にありません。
再発を繰り返すほどに挫折しやすくなってしまう
何も情報がない中で子供が自力でインスリン抵抗性に対応して手一杯な中で
若いのにもったいない、学校に勉強に部活にバイトに友達に将来の夢に、
充実した日々を送るようにと
大人たちからは普通の子と同じようにこなすことを求められます。
今の時代のように改善するための情報があったらそこまでしなくて済んだのですが
当時、私はこれ以上無理なくらい毎日毎日身を粉にして頑張っていました。
元々慢性疲労があって大人たちは何が原因か調べようともせずに性格の問題や怠慢として否定しかされない中、子供の私が一人で摂食障害に対応してしました。慢性疲労は依存症とはまた別の問題です。慢性疲労と依存症という2つの問題を抱えていました。慢性疲労は未だに治っていませんが付き合い方はわかってきています。
依存症の人に普通を求めるのではなく
- 依存をやめることができた
- 依存をやめていないけど身体にさしつかえない方法を取っている
このどちらかを達成できたのなら上出来で、やることをやったとみなしたほうがいいと思います。
依存をやめるという一つの大きなことを成し遂げた中で
他にもあれもこれも、他の人はできている、などと責め立ててしまうと
本人は精いっぱい努力して依存をやめているのに「頑張っても意味のないこと」と感じてしまい
今はこれ以上頑張るのは無理なので「どうせ無理だからもういいや」と、せっかくやめることができた依存症を再発してしまい
再発する度に挫折して、初めてやめられた時よりも、2度目にやめられた時よりも
再発を繰り返すほどにやめる気力を失っていきます。
私は非嘔吐過食で依存しているものは食べ物であり、食べられる量にも限界があるので私の場合は体を壊したり事件を起こすようなリスクは低いと思うけど、色んな依存症がある中で依存症の種類によっては命の危険に及ぶものもあるから
回復してほしい相手が大切な人なのであれば
やめたことを褒めて、やめられなくてもやめようとしたことを褒めて
どうか回復を急がないでほしい。
離れることができる関係であれば背負えないものを背負おうとせずに距離を取ったり離れることも一つの方法です。人を助けてあげたいという善意の気持ちであったとしても、できないことをやろうとした時に自身にもリスクや責任が発生します。
依存症とは表面化する前から長年の問題を抱えている
私は高校生の時に依存症の問題が表面化しました。
大人たちは表面化した時期に根底の問題があると思って今すぐやめさせようとします。
しかし表面化したのが高校生の時というだけであって
依存症とは10年、20年単位の長い期間を経て問題が表面化します。
発症自体は10年、20年前にしているのです。
その長い間、大人たちが求める無理難題を叶えるために
一人で抱えて表面化しないように抑えていただけです。
周囲の人は表面化した時を発症時期だと思い込み、短期間で治るものだと思っていますが
実際には長年苦しんだ分と同じ年数が回復にかかる期間だと思ったほうが良いです。
1か月、半年、1年、そんな短期間で治ると思っていたら
余計悪化させて本人も苦しみ、期待通りに回復しなくて周囲の人も疲れるだけです。
守ってあげられるのは家族しかいない
浅い関係の人が批判的な言葉をかけるのは仕方ないと思う。
迷惑行為をする知らない人がいたら迷惑としか思いません。
だからこそ、家族しか助けてあげることはできない。
どうしたのかな、何か理由があるのかな?と考えてあげられるのは
家族しかいません。
家族が依存症を責めて悪化させてしまったら
味方になってくれる人はもういません。
人は診断が出ている人にはやさしいものです。
皆さんの本心がどうであるかは抜きにして、診断が出ている人には批判的な言葉をかけてはいけないという一般常識が存在します。
できなくて仕方ない状態に陥っていても診断がないと、第三者の皆さんは、なぜそうするのかわからないから怒りや不満を抱いて冷たい言葉を投げかけます。
診断とは称号です。
診断があれば、この人はできなくて仕方ないという証拠があるので
よほどの非常識や疲れている人でもない限りは病気の人を批判しません。
少なくとも学生時代までは診断書によって守られます。
私の子供時代がなぜこんなに辛かったのか、それは診断書がないからです。
インターネットで調べて自分は身体のどこが悪いのかある程度目星をつけてから専門の病院を探さないと発見できない病気もあります。
私の場合は情報がない時代だったので仕方ないと思っています。
人は皆それぞれ「自分のやること」があります。
自身や家族、親しい人を守ります。
自分の守るべき人をそっちのけで親しくもない人のことをやろうとするなら
それも問題だと思います。
自分の守るべきものを守っていたら他人のことまでやる余裕はありません。
親友なら多少は背負ってくれますが自身にもやることがあるので限界があります。
だから、何かあった時に守ってあげられるのは家族しかいません。
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