前世で悪いことをしたから今世が辛い人生になるというわけではない

前世に悪いことをしたから今世、現世がつらい人生になったというわけではない 不思議な世界について考える

誰しもが何かを頑張っていたり困難を乗り越えて今を生きていて

私だけが辛いわけではないのはわかっていますが

人生において、どのくらい頑張ったのか、どのくらい辛いのか

それは人と比べるものではないと考えています。

他と比較して、どっちのほうがと考える必要はなく

「私は辛い。」それでいいのです、私の人生なのですから。

私に直接の迷惑がないような他人の自由な事柄について私も他人のことは何も言いません。私が正しいわけでもないし、本人になってみなきゃ何がどのように大変なのかわからないものです。

今の私が大人視点で子供時代を振り返っても、今の記憶を持ってして生まれるところからやり直して、それでようやくギリギリどうにかできるかもしれないと思うくらい最初からつらい人生でした。

どうやっても無理難題な人生だったと思う。

一つ一つをクリアしていくというよりも、やり過ごすことで精一杯です。

頑張っても頑張っても否定しかされない人生。

途中からつまづいたなら仕方ないと思えたかもしれないけど

最初から否定され続ける辛い人生でした。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

なぜ私の現世は、こんなにつらい人生なのだろうか

なぜこんなに辛い人生なのだろう

以前は前世はあまり信じていなかったけど、最近では説得力ある証言をテレビや動画で見かけるようになって、前世や来世はあるのではないかと思っています。

この世を卒業したのに来世があるということは物理的には非現実的だと思います、しかし現代の科学では証明できないけど未知の仕組みがあるのかもしれないと考えています。

前世があり来世がある、そう考えた時に

私がこんなにつらい人生なのは前世で何か悪いことをしたからなのかなという発想が思い浮かびます。

そうかもしれない、しかし今の私は、本来無理なところをどうにかやりすごして頑張ってきて偉いじゃないかとすら思います。

よろしくないことに手をつけるわけでもなく、もちろんこれからも絶対にそういうことはしないし、誰かに当たって憂さ晴らしすることもしないし、好きなことを見つけて自分を保ってきて偉いと思います。

人よりすごいわけでも偉いわけでもないけど、文頭でも言った通り、人と比べるものじゃないから

私の中では偉いと思います。よくやったと思う、よくやりすごしたと思う。

バチがあたるほどの悪いことはしていないと思う、慢性疲労持ちなので体力も気力もないけどそれとはまた別の種類のパワーで、どんなに疲れていても趣味のように誰にも迷惑かけないもので楽しみを見つけて自分を保つエネルギーが私の中にはあります。

だから前世も罰があたるほど悪いことはしていないのではないかと感じます。

私の人生が辛い理由は役割や使命があるからだと考えている

最近になってようやく、なぜ私がつらい人生を送ってきたのかわかったような気がします。

前例がないものや、どうしたら良いのか今の時点ではまだ情報が少ない事柄には、最初は為す術なく、ただただ耐えます。

インターネットが当たり前にある時代になっても最初からあらゆる物事についての情報があるわけではなくて、少しずつ色んな情報が出てくるようになります。

SNSが当たり前にある時代になっても最初から情報にたどり着けるわけではなくて、SNSの機能が進化することによって色んな情報が目に入りやすくなります。

こういうことが嫌だったと発信する環境があって、その発信を色んな人がキャッチできる環境があって、そこで初めて情報が発揮されます。

人間とは、自分がなってみて実体験がないとわからないものだと思います。

自分が元気だった時には怠慢に見える相手がいたとしても、いざ自分が同じ立場になってみると、以前の自分の想像は事実ではなく想像でしかなかったことや、楽そうに見えたり簡単そうに見えても実際にやってみると非常に難しい状況だと知ることもあると思います。

わざわざ、大変な状況の人や疲れている人を目がけて批判してしまう人の中には

悪気がある人もいるけど、悪気すらない人もいます。

しかし、言われれば止める人たくさんいます。

「こういう状況なのに、こういうことを言われて悲しかった」という事例を、人づてに聞いたりSNSで見るなどして、なぜ言ってはいけないのか理解すればやめる人は、たくさんいます。

言われても止めないけど自分の立場を悪くする危機を感じるとやめる人もたくさんいます。

自分も同じ状況になって初めて、以前は理解できなかった相手の気持ちを知ることもあります。

弱い立場だった人たちが新しい道を作っていく

弱い立場だった人たちが新しい道を作っていく

未来を開拓している存在とは、弱い立場だった人たちだと思う。

「こういうやり方は結果的に将来全員に良くないからやめようよ」と、新しい未来を作っていく。

未来への新しい道を作る使命を持って生まれてきたから、つらい人生になったのだと思います。

  1. 頑張った分、認められて褒められて楽しい人生
  2. ひたすら耐えるばかりで、頑張っているのに褒められないどころか否定しかされなくて辛い人生

上記の二つから、どちらか片方を選べるのだとしたら

他に現実の世界があってゲームの世界として体験するなら後者の物語に興味を持つことはあるかもしれないけど

現実として体験するなら誰だって前者の世界をやりたいのではないでしょうか。

しかし多分、自分なら耐久できるから未来をつくる使命としてつらい人生を受け入れたのだと思います。

よって、前世で悪いことをしたから現世がつらいのではなくて少し大変な役割に就いたから辛い人生なのだと思います。

疲れている人ほど温かく優しい環境が必要

疲れている人ほど優しく温かい環境が必要

この世でも近年は、悪いことをした人一人だけを原因として責めるのではなく、どんな理由があっても「悪いことをした人の罪」であることに違いはなく悪いことをしていいわけではないけれども、その人をそうさせた存在も考えるようになってきたことを感じます。一人だけを責めても何の解決策にもならないのではないでしょうか。

あの世は物質のない世界かもしれないけど、もしかしたらこの世と同じ物質世界かもしれない。どちらにしても、

あの世は、この世よりもはるかに進んだ世界だと思います。

その進んだ世界で、悪いことをした一人だけを罰して解決とするような世界ではないことを想像します。

悪いことをしてしまった人ほど温かい環境で人の気持ちを学ぶように促すのではないでしょうか。

幸せな人は現実世界での、ご自身やご家族やご先祖様の努力による結果であり、前世で良い人で今世でも良い人が幸せな家庭で過ごす場合もあると思いますが

幸せな人の中には、前世で間違った道に進んでしまって「人を大切に思う気持ち」を学習するために現世では幸せな人生を選択した人も存在するかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました