友達みたいな関係ではあったけど
長年一緒にいた彼氏・恋人であった彼との現実世界での永遠のお別れは
今まで私が生きてきた中で一番辛かった、悲しい、苦しい。
それ以前だって、どん底くらい疲れていた時はありますが
そんなのどうでもいいレベルに思うくらい、大切な人との死別は苦しいです。
以前だったら嫌なことがあったら、ひたすらイライラ、モヤモヤしていたけど
今の自分に限界を超えた強い心の衝撃を受けると
心が麻痺するんですね
身を持って初めて経験しました
今こうしてブログを書いていられるのも心が冷凍されているからだと思います。
人はこうやって身を守って、やることを回したり、自分の心を保つのかもしれない。
どこで覚えたわけでもないのに、必要になったら自動で発動する自己防衛機能が私にも備わっていたことを実感しました。
今はまだ回復に向けた一般的な対策や改善策をやる気が起きない

死別の悲しみから回復するための一般的な対策、改善策として
- 考えないようにするために忙しくする
- ご飯はちゃんと食べる
- 亡くなった人の分まで生きよう
など、それらは正しいと思いますが
そういう言葉は頭に入ってこなくて心で受け止めることができません。
今はただただ悲しい。
自暴自棄をする気はないし人生のリタイアも考えていません。
今はまだ、大切な人を失ったことへの悲しみが大きくて
回復したいと思えないし癒されたいとも思っていません。
ただ心をフリーズさせて一旦保留にして現実を回すだけ。
一生このままこの状態を続けるのかどうかはわからないけど
現状のままでも現実を回すことはできると思います。
自分じゃない自分を演じると余計疲れる
亡くなった彼と出会う前の私、
過去の私は辛くても楽しそうに演じて生きてきました。
明るいのが積極的なのがいいことだと思って
それが正しいことなのだと思って必死に演じていました。
疲れている時ほど頑張りました。
悲しいのに、あたかも楽しそうに笑える自分に異様さを感じていました。
時には感情をセーブして毅然に振舞うことも必要ではありますが
どう見ても落ち込むであろう場面で楽しそうに演じるところが
余計に人をイライラさせていたこともあったと思います。
いつも、自分じゃない自分を演じて疲れていました。
疲れているほど、もっと頑張ればうまくいくんだと思って
普段しないようなことをして突っ走って更なる災難を自ら呼んでいました。
今は悲しいという感情そのままに悲しみと共に現実をやり過ごしたい。
また笑いたいとか何か楽しいことをしたいとも思っていない。
ただただ、悲しい、寂しい。
これが私で、これが私の感情なのです。
人前では感情を表に出さないほうがいいけど
笑わなきゃいけないわけでもない。
笑わなくていいし元気を出そうとしなくてもいい。
自分の感情を、かき消そうとしない。
先は長いから頑張るのではなく、やり過ごす
私の自然な寿命が来る時まで、あと何年、何十年あるのでしょう。
私は低血圧で、飲み物も水かお茶しか飲まないし、
甘いお菓子も食べないし、脂っこいものも苦手なので
元々慢性疲労で常に疲れていて体力も気力もなく、とてもそうは見えないと思うけど
意外とヘルシーな生活をしていて、そう簡単に自然な寿命は来ないと思います。
あと何十年あるんだろうと考えると気が遠くなるくらい疲れてしまいますが
それでも、やり過ごすしかないのです。

回復する気はないけど、だからといって人生を断念するわけでもなく
- 今あるやることはやる
- 生きることは絶対に諦めない
この2つだけは固く守って
天寿を全うする日まで、ただただ、やり過ごすつもりです。
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