そう思いたいという根拠のない想像です。
又、たとえ私の残りの人生が
あと30年あろうと50年あろうと
自然な寿命が来る日まで生きて
私は天寿を全うします。
実際どうであれ、そこに変わりはありません。
長年一緒にいた恋人が亡くなって、私の残りの人生が長すぎるなって思った。
無理だよって思った、無理でもやり過ごして達成するしかないんだけどね。
何歳であっても愛する人とのお別れはつらいけど、天寿を全うする日のことは70歳、80歳くらいになってから考えることだと思っていた。

彼と行ったことがある場所に行くと、ああこの世ではもう二度と会えないんだなと実感して辛いし、生活圏を共にしていたから彼氏と行ったことがある場所に行かないわけにもいかない。
私が天寿を全うしたら会えると思いたいけど、それだって科学的な根拠はない。
大切な人を亡くすと私の残りの人生が長すぎるくらい長く感じる
子供の頃からの原因不明の慢性疲労はあれど今までこれで生命の危険に脅かされたことなんてなく健康診断でひっかかったこともありません。又、体質なのか昔から低血圧です。
そんな私が天寿を全うする日まで、ほど遠いでしょう。
私の体には、ある日突然天命を全うしてしまうような要素が特にありません。
果てしなく遠くて、とりとめがなくて、天寿を全うしてもその先に何の根拠もない。
しかし、人生リタイアなんかしたら亡くなった恋人に会える可能性がゼロになっちゃうような気がして、それも根拠はないんだけど、やらないほうが可能性はあるから。
果てしなく深い闇
晴れることのない濃霧
そこでふと思った。
私の自然な寿命はあと3年か9年、勝手にそう思っておこう。

そう思ったら少しだけ気が楽になった。
私の残りの人生があと3年か9年だと思った理由
なぜ私が天命を全うする日までの残り年数は3年か9年だと思ったかというと
彼とは出会った時点で人生が似ていたからです。
彼は大変優秀で、私は出来ない人で真逆なんだけど
同じカテゴリの違う種類、あまりに真逆すぎて似ているという感じで
悩みやテーマが似ていました。
空気が読めすぎて孤独を感じる人と、空気が読めなすぎて孤独に陥る人と
正反対でありながらも、ある意味似ていると思う。
物事をわかりすぎるがゆえに受け身になって全てを譲るようになる人もいるけど
物事を把握する力が弱いがゆえに交流を避けて全てを譲るようになる人もいます。
真逆だったり同じカテゴリだけど種類が違うから同族嫌悪を起こすことなく同調しすぎて潰れてしまうこともなく、悩みを愚痴ったり励ましあったりすることができました。
種類は違うけど根底のテーマが似ているから話が合っていました。
相性の良い人、気が合う人とは「愚痴が合う人」という説があるけど、その通りだと思う。
そうそう!そうだよね、わかる~という感じで意気投合していた。

偶然知り合った赤の他人だったのに出会う以前の歩いてきた道が似ていた。
一緒に居たから似てきたのではなく出会う前の時点で似ていた。
全部が同じというわけではないけど。
例えると、高級ディナーを楽しむのが趣味でSNSに発信しているお金持ちと、安くておいしいランチを楽しむのが趣味でブログに書いている庶民がいたとして、種類やレベルは違うけどカテゴリとしては似ているという感じです。
違うところは違うけど構成が似ていた。
普段は淡泊なのに私が忙しい時に限って積極的に絡んできたり、彼が食欲旺盛な時に私は食欲がない時期だったり、私が風邪をひくと彼は調子が良かったり、相性がいいのか悪いのか「反対の法則」のようなものが成り立っていて、ある意味周期が似ていました。
彼はどうなのかな?と思った時に私の正反対を推定すれば、だいたいそれで当たっていました。
性格も体質も得意不得意も好みも何もかも面白いくらいに反対の法則が成り立っていたけど、真逆なのに何かが似ていて仲良くやっていました。
得意不得意が真逆だから単純に組み合わせが良かった
彼がほとんどのものを持っていて
数少ない彼が苦手なことに私が強耐性を持っていたりして
一人分の生産力を1として二人いるなら1+1=2以上必要だとして
1.9+0.1=2でもいいような、-2+4=2でもいいような。
単純に組み合わせが良かったのだと思います。

周期やテーマが似ていたので
もしかしたら天命を全うする日も同じくらいなのでは
彼のちょっと後に私にも同じ運命が来るのでは
そう思いたい。
それを希望に、あと3年生きて、3年で来なかったら9年生きて
人生をやり過ごしていこうと思っています。
9年過ぎたら、その後のことはその時考えます。
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