最愛の人との死別

最愛の人との死別

幸せだからこそ楽しいことを楽しめるのだと知った 何も楽しめない

趣味も楽しめない、何をやっても楽しくないことを経験して、以前は幸せだからこそ楽しいことを楽しむことができていたのだと実感しました。時間は有限なのだから自分のことをやるために自分のために生きる視点が必要なのだと学びました。
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彼も私も20年後に生まれていたら一番辛かった事に悩まずに済んだ

彼も私も20年後に生まれていたら、人生において最もリスクやハンデとなったものを回避して、辛い思いをしなくて済んだと思います。未知の病気、今の時代では診断が出ない病気こそ辛い思いをします。情報と理解があればここまで辛い人生ではなかったと思う。
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私のブログに致命的なエラーが出て壊れたのが自分のブログで良かった

ある時私のブログに自分のサイトにもログインできない程の重大なエラーが発生して壊れました。私のサイトなのでサーバーにログインして直すことができたのですが、これがもし亡くなった彼のブログだったら、もう見ることができなくなって悲しいと思いました。
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死別後の躁と鬱、全て投げ出したい、頑張ろうという両極端を繰り返す

死別後のストレス反応への私の対処法を書きました。最初はひたすら鬱でしたが、やがて躁状態と鬱状態という両極端な気持ちを交互に繰り返すようになりました。明るい気持ちの時は意識してそうしているわけではなくて本当に希望に満ちて気力が湧いています。
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過去に彼が孤独に過ごした3年間、私は今から孤独な3年間を歩く

彼は20代前半という若い頃に孤独な3年間を過ごしていました。大人になるとあっと言う間に時間が過ぎるけど、若い頃に3年間という長い時間を孤独に過ごすことは辛かったと思います。彼が旅立ってしまった今、私はこれから孤独な3年間を過ごします。
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過去には絶対に戻れないのに脳内で何度もシミュレーションしてしまう

大切な人と死別して、あの時ああしていればよかった、この時こうしていれば良かったという後悔や罪悪感の気持ちが消えなくて過去に戻ることは絶対にできないのに、過去に戻ってやり直したいという脳内シミュレーションを何度も繰り返し、やめられません。
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私の自然な寿命まであと3年か9年のつもりで生きれば気が楽になる

大切な人を亡くすと自分の残りの人生が長すぎて辛い。果てしなく遠く、とりとめのない絶望。そこで、あと3年という気持ちで生きれば気持ちが楽になると思いました。残り何年あろうとも自然な寿命の日まで生きて天寿を全うすることに変わりはありません。
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大切な人と死別した悲しみ苦しみからの回復や癒しを今は求めていない

大切な人と死別した悲しみ苦しみから今は回復したいとも癒されたいとも思っていません。今はまだやる気が起きません。回復や癒しに向けた一般的な対策や改善策は存在するようですが、今は悲しみと共に、ただただ毎日をやり過ごしていく予定です。
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彼が亡くなった後に初めて見た彼の夢は意外と怖くなくて短い夢でした

亡くなった人の夢を見た私の体験を書いています。彼の夢を見ることができるのか、そして彼が亡くなった現実が悲しくて苦しくて夢で会うことが怖いと思っていましたが、お葬式の後に夢に現れて、普通の日常のような怖くもない悲しくもない夢でした。
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亡くなった人が近くにいる、そばにいるような気がする、その意味とは

亡くなった人がそばにいるような気がするとは、どういうことなのか私の実体験を書きました。彼の生前は現実で会えない、お話できないことが考えられませんでした。亡くなった人に会える、亡くなった人が近くにいるサインとはどういう意味なのか考察しています。