大切な人を死別で失って、私はずっと不安定です。
最初はひたすら鬱でした。
何も食べたくない、何も見たくない、眠れない、テレビの映像や文字が頭に入ってこないなど
とにかく無気力で何もしたくない状態でした。
亡くなった恋人のことは考えないようにしています。
あんなこともあったな、こんなこともあったなと楽しかった記憶も思い出すのですが
思い出の断片が浮かんだら、その時のことを思い出せば前後の記憶をもっと思い出すことができて
それ以上踏み込むと辛くなってくるので今は思い出さないようにしています。
彼がいなくても私は生きていかなくてはならない
そう思って立ち止まらずに頑張って生きています。
最初はひたすら「うつ」だったのにやがて躁状態と、うつ状態を交互に繰り返すようになった
最初はただただひたすら憂鬱な状態だったのですが
これからどうにかしていかなければならないという気持ちもあってか、
「よし、あれもこれもチャレンジしたい、頑張っていこう」という弾けるように明るい気持ちと

「どうせ私は何をやってもうまくいかないんだ、全てを投げ出したい」という沈んでいく気持ちと

両極端な気持ちを交互に繰り返して
自分は疲れているんだなと思います。
そのくらい彼という一人の人間の存在が大きかった。
死別後のストレス反応への私の対処法は疲れていることを自覚して静かに過ごすこと
私は今、自分が疲れていることを自覚しています。
今の私は正常ではないと思います。
死別後のストレス反応への私の対処法は
当分は大きな決断のようなことは控えて
人に迷惑をかけないように、そして自分自身も良くない方向に行かないように
現状維持を目標として静かに過ごそうと思います。
死別後のストレス反応は複雑で、
そう簡単に薄くなっていくものではないと感じています。
早く元気になろうと急いだり無理をして
トラブルを招いて疲れているところを更に疲れてしまうよりは
一人でできる趣味や気を紛らわす方法を考えたほうが
自分を守れるような感じがする。
人によってストレス発散方法や
疲れた心との付き合い方は異なると思いますが私の場合は
読書や、出かけるにしても映画鑑賞など一人でできることをして
相手があることは、しばらくの間はしないようにしようと考えています。
突然希望に満ちたような感覚が起きたり、
突然どん底のように気分が沈んだりするので
感情の変化の激しさに人を巻き込んではいけないと感じています。

躁状態で明るい気持ちの時は本当に気力が湧いている
これから頑張っていこうという明るい気持ちの時は
意識してそうしているわけではなくて本当に希望に満ちて気力が湧いています。
その時は、私はもう大丈夫、頑張れる、やればできる、
やりたいことはたくさんある、あれもこれもトライしてみたいと思っています。
しかし、しばらくすると
ああもう駄目だ、何もしたくない、私は何をやっても駄目だ
という気持ちが起きてしまい
躁状態と、うつ状態を交互に繰り返しています。
どのくらいになったら自分は大丈夫なのか難しい。
躁状態の時は私はもう大丈夫だと思っているのに
やはりまた、うつ状態が起きる。そしてそれを私は自覚している。
今は元気なように感じても、やがてまた気分が沈む時が来るんだとわかっている。
とにかく、目立った行動はせずに保守に徹して
毎日をやり過ごして時間が過ぎ去るのを待つしかないのだと思っています。

頑張って生きたら会えるという保証があればいいのに
非現実的な話だけど、せめて
この世を自然な寿命で全うしたら会いたい人に会えるという
根拠、証拠、保証があったらいいのになと思います。
あってもなくても、私は自然な寿命で人生を全うすることしか考えていません。
それでも、ちゃんと生きたら必ず会えるんだって確定しているのなら
今よりも希望を持って生きていけるのにな
この世にいる人間が、もしも、あちらの世界がどのようなものかわかっていたら
自分で考えることをやめて効率重視で攻略する人や、
人の心や生きることへの重みを知らずに過ごす人も出てくると思います。
旅立った後の新しい世界のことはわからない、それでこそ
人生なのかもしれない。
コメント