例えば、水をガスコンロの火にかければお湯になり温度は最大100℃まで上昇します。
これは現実的な話であり事実です。
それに対して、あの世、前世、生まれる前の世界、天国などは、そういう話はよく耳にするけど水を熱すればお湯になるような科学的な証拠はありません。
水を沸かすとお湯になるような絶対的な根拠はないけれども、あると信じたい。
先に亡くなった人と二度と会えないのではなく
私が天命もしくは天寿を全うしたら会えると信じたい。

辛い人生を選んだら魂が降格しやすくなってしまうのではないか
死後の世界についてはいろんな考え方があるから半信半疑ではあるけどインターネットが当たり前にあるこの時代に動画やテレビで証言する子供たちを見て生まれ変わりはあると思っています。

そこで疑問なのは「人間は生まれる前に、どんな人生を送るのか知っていて運命を受け入れて生まれてくる」という点です。
そして、人生のリタイアは絶対にしてはいけない、してしまうと今よりつらい状況になる、などと言われています。
自らの意思で人生のリタイアをしてしまったら魂が降格するとも言われています。
例えば、次の人生ではマラソン大会で一位を取るぞという目標を立てて生まれてきたとします。その場合、一位になれなくても一生懸命生きて自然な寿命で人生を全うしたのであれば少なくとも魂のランクが下がることはないと思います。
しかし、つらい環境で心も体も弱って風当たりもきつくて人生をリタイアしてしまったとしたら、そのような人生を選んで生まれてきたとしたら、魂がランクダウンしやすい人生だと思います。
修行や成長のためにこの世に生まれてくることは理解できるのですが
頑張った挙句に魂が降格しかねない人生をなぜ選ぶのでしょうか
一生涯で得た評価が100点満点中70点が平均点だとして10点でも1点でもプラスになるのなら受け入れられるし、0点でもマイナスにならないのなら良いと思います。
しかし、この世の苦しみ悲しみを耐え抜いたうえに魂が降格するのであれば
なぜリタイアしかねない人生を受け入れて生まれてくるのでしょうか。
私は、そこが疑問です。
人間は余裕がなければ誰でも意地悪や無気力になる可能性がある
私は困った人の人生をやってきた後に、普通の人の心を習得したので
かじった程度の知識かもしれないけど、自分自身がそうだったという経験から
困った人と普通の人、両方の気持ちを実体験しました。
人の気持ちとは同じものになってみないとわからないものです。怠慢にしか見えない人でも、その人にはその人にしかわからない事情があるのかもしれません。自分のことなんだからうまくやれるならうまくやりたいし、生きていく中で一番辛いことはやることがないことだと思います。心も体も元気な状態でゴロゴロして過ごす人はそんなにそんないるだろうか。困った人に遭遇した時に用件なら伝える必要があるけど、離れれば済む関係であれば助けなくてもいいから受け入れなくてもいいから否定はせずに黙って距離を取るほうが無難だと思う。
私の体調不良はここ数年でようやく話題に出るようになったもので昔は診断が出なかったので普通の人としてやっていくしかなくて風当たりがキツくて、辛くて寂しい人生でした。
人間、心に余裕があるから人にやさしくできるものです。
心に余裕があるから嫌なことがあってもスルーできます。
否定や攻撃をされつづけたり嫌なことを言われ続けたら
誰だって意地悪になります。あるいは、もうどうでもいいやと無気力になります。

愛された経験がある人が攻撃され続けるようになった場合は、自分を保つ強さを持っているかもしれませんが、最初から否定しかされないような人生を送った私が自分を保つのは難しい状態だったと思います。
寂しい人ほど自ら寂しい人生を呼び寄せる
困った人だった時の私にあったストッパーは「法律違反は絶対にしてはならない」これだけでした。又、暴力をするという発想はなく、たとえ相手が叩いたり蹴ったりしてきても私には暴力をするという発想はありませんでした。やられっぱなしでした。
世の中は攻撃性や暴力のないただただ不器用な人に目くじらを立てることもあるけど、普通に立ち回れる頭を持っているのに弱い人を目がけて叩いたり蹴ったり嫌がらせをするような人間にもサポートが必要なんじゃないのかな。
一人の人間として愛されたことのない疲れている人間は
自分がされたことを仕返しする生き物となります
自分より弱い人を探して無関係の人に怒り恨み悲しみ憎しみをぶつけるようになります
その行為は肯定できないけど、そうなるべくしてなったものだと思います。
そして、仕返ししようとするほどに普通の人が離れていって、より寂しい人生となります。

愛をもらえず、愛を受け取れず、愛を与えることができない状態です。
なるべくして人生をリタイアしてしまっても降格するのであれば
なぜそれを受け入れて生まれてくるのか、生まれてくるしかなかったのか。
予め決まっている運命が存在するのであれば、疑問です。
運命があるならギリギリでクリアできる難易度設定なのかもしれない
私は、さんざんな人生だったけど
不幸かといえばそうでもなく運には恵まれていたと思います。
体調が悪いので能力は普通の人以下ですが
幸せか不幸かでいえば
普通以上に幸せだったのかもしれない。
だから今まで人生のリタイアを考えることなく生きてこられました。
私は、ひとつの人生で困った人の人生と普通の人の人生の両方をやったから
私には誰かを助ける力はないけど困った人を見かけても否定したり攻撃するのではなく黙って離れてスルーします。困った人だった時の自分を振り返ると、助けてくれなくてもいいから、その状態が仕方ない状況であるのに非難するのはやめてほしい。仕事なら仕方ないけど、嫌なら離れれば済む関係の相手や子供に対して否定の言葉をかけるのはやめてほしいな。
実は死後の世界、あの世が本当の世界で、この世はVR(仮想現実)という説があります。それについては信憑性を確かめようもないので、そういう考え方もあるんだくらいに思っているけど、もしかしたら、この世ってRPG(ロールプレイングゲーム)に似ているのかもしれない。随時セーブされていてロードは出来ない、今1秒1秒が一度っきりで間違ったからロードみたいなやり直しはできない一発勝負のRPG。
ゲームは、あまりに簡単すぎるとすぐにクリアしてしまいやりごたえがないので、ちょっと難しい、ちょっと頑張ればクリアできる難易度になっていることが多く、上級者にも満足してもらえるように攻略すればクリアできるけど適当にプレイしていたらクリアできない難易度になっているものもあります。そのように、
もしもこの世に運命というものがあるのなら
天命もしくは天寿を全うする日まで
ギリギリでクリアできる難易度設定になっているのかもしれない。
そう思いたい。
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