恋人と死別してしまって
彼氏が亡くなったという事実は認識していて
私の場合は、彼に電話やメールをしようとしてしまうことはありません。

それをやってしまうと
もう会えないことお話できないことを再確認してしまって
悲しくなってしまうから。
意識して亡くなった彼についうっかり電話やメールをしようとすることがないようにしています。
しかし、あの時ああすればよかった、こうすれば良かったという
過去へのシミュレーションはやめられません。
あの時ああしていればこうしていればという後悔が止まらない
毎日のように脳内で過去に戻ってやり直す想像をしていて
過去に戻ってやり直したいという意味では
「今からいくら考えても無駄なんだ」とセーブをかけ一旦やめて
そのうちまた自然と何度も過去に戻ったらどうするかシミュレーションをしている。

過去には絶対に戻れないのに
こうすれば助かっていたかもしれない
ああすればまだ生きていたかもしれない
この時こうしていれば
いやいやもっと前にああしていれば
延々と続いてやめられない過去への後悔。
そして、過去に戻ることは無理だから
考えるのはもうやめようというストッパーがかかって現実に戻る。
今も生きていたかもしれない道はたくさんあった
後になって考えているからわかること
その当時にはわからなかったこともあるけど
あの時ああしていれば、この時こうしていれば
今も生きていたかもしれないという地点はたくさんありました。
だからこそ、今から考えても過去を変えることは絶対にできないのに
あの時ああしていればこうしていればと罪悪感が止みません。
もし今の記憶を持ってして過去に戻れるのなら
全てを捨ててでも彼が助かる方向に費やします。
彼が元気だった頃は私にも明日もあさっても1か月後も1年後もあるから
気がかりなことはあっても私も自己管理をしなくてはならないから
彼に全てを費やすことはできなかった。
普段なら「そうするわけにもいかないよね…」と
やろうと思えばできなくはないことでも
マナーや常識というストッパーがかかっていたものでも
こうなってしまったことを知っている今なら
法律違反以外であれば、なんでもやります。
それでうまくいかなかったのだとしても
やるだけのことをやってそうなったのなら
今ある後悔の気持ちも、また違ったと思う。

あの時ああしていれば、こうしていればという後悔
これは当分やめられそうにありません。
だからこうして自分のブログに書いています。
人に迷惑をかけない表現の中でブログに書けば
誰にも迷惑をかけずに気が済むまで内省できます。
気づかないうちにこのご時世の影響を強く受けていた
2020年頃から、ご時世は変わりました。その時、
私は暇ではありませんでした
やることがありました
好きなこともたくさんありました
元々慢性疲労持ちで体力がないゆえに時間が足りないくらいでした
忙しいので寂しいとも思わなかったし、やることやってるので罪悪感もありませんでした。
だから、私はこのご時世の影響を受けていないと思っていました。
しかし彼が亡くなって気づきました。
私は自覚できなかっただけで、このご時世の影響をかなり強く受けていたのだと。
知らぬ間に驚くほど視野が狭くなっていました。
今振り返ると、なんで思いつかなかったんだろう、なんでこんなこともわからなかったんだろうと思う節がたくさんあります。
友達に会えなくて寂しい、外出が制限されて辛いなど、辛い、苦しい、悲しい、寂しいと言葉に出して嘆いていた人は、このご時世の影響を受けていることを自覚できる人だったのだと思います。
本当に怖いのは私のように影響を受けていることを自覚していないこと。

誰のせい、私のせい、何のせいと追及したいのではなくて
まだ会いたかった、話したかった、やりたいことがたくさんあった
私が彼と一緒にいたかったから助けられなかったことが悔しい。
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