彼も私も20年後に生まれていたら一番辛かった事に悩まずに済んだ

もっと遅く生まれたかった、20年後に生まれてきたかった。 最愛の人との死別

彼と私の悩みは全くの別物です。

しかし、彼も私も

人生に一番のリスクやハンデを与えたものは

もしも私たちが20年後に生まれていたら

最初から悩まされなかったものでした。

医学や科学が病気に追いついていないと診断できないゆえに

性格や怠慢のせいにされてしまいます。

ただでさえ具合が悪くて辛いのに更に責められて辛いです。

彼の悩みについてはプライバシーがあるから書けないので

私の苦悩だけ書きます。

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20年後に生まれていたら病気を発症しなかった

私の人生で一番のハンデとなったものは機能性低血糖、そして

それが元になる様々な体調不良です。

今の時代だったら聞いたこともないような病気ではないし

診断が出ればこういう病気だからこれはできないと宣言することができるし

情報があれば病気への対処法があるので

情報がない時代だったら人生をさしつかえるほど強い症状が出ていたものも

未来の世界では軽い病気になっている可能性もあります。

人は診断が出ている人にはやさしく、

本来は、より気の毒なはずなのに、具合が悪いのは事実なのに現代の知識や道具では診断が出せない病気を持つ人には厳しいものです。

内心はどう思っていようとも診断が出ている人には批判してはいけないという常識が存在します。

どんな病気だって辛いから診断が出ている人のほうが楽というわけではないけど

心も体も元気な状態なら暇ほど辛いものはなく、それは昔だって今だって考えればわかることだから、健康な自分、ある程度健康な自分、病気はあるけど動ける自分を基準にして疲れている人を怠慢と決めつけて批判するのはやめてほしい。

彼は20年前に生まれたかった、私は20年後に生まれたかった

彼とはよく、

私は20年後に生まれたかったな

いやいや俺はもっと昔に生まれたかったよ

と、真剣な話じゃなくて他愛もない雑談として話していました。

彼は非常に優秀な人でした。能力が高いのに穏やかな人でした。

一つだけ彼を悩ますものがあって、それは20年後に生まれていたら

悩まされることはなかったであろうものでした。

私が20年後に生まれていたらこの病気に理解がある時代だった

20年後に生まれたって、私の時代以上に難しい問題もあると思います。

それでも、20年後に生まれていたら

本来横になっていても仕方ない体調でありながらも

診断が出ないので大人たちからは怠慢としか見なされず

それでも身を粉にして本来無理なところをどうにかやりすごした挙句

毎日毎日否定しかされないような苦しい人生を過ごさずに済みました。

発症自体しなくて済んだかもしれないし

発症しても診断がつきます。

病院の診断があれば少なくとも学生時代までは

責められることがない世界があったと思います。

健康な人たちが具合が悪い人を否定することが辛い

倦怠感がないだけでも私にとっては夢のようです。

そんな夢のような毎日を送っている健康な人たちが

私のような具合の悪い人を責め立てることがとても悲しい。

私だったら、なんでそうするんだろう?と疑問に思う相手に遭遇しても

用件以外は何も言いません、

直接私に関係ないことを人にどうこう言う必要はないと思います。

同じ体調で同じ状況で、同じものをやった人が意見を言うのであれば

経験者の体験談として、情報として意味のあるものだと思いますが

同じことをやったわけでもない人に、共同作業をしているわけでもないことに対して

文句や批判を言われるのは、情報としての価値もなく

ただ相手を傷つけるだけ。

私が知りたいことは、この体調でどうにかする方法です。

一歩を歩くのも鉄の重りを背負っているような体調をやってみてから言ってよ。

やってみたら何も私に文句を言わなくなると思う。

 

彼は逆に20年前くらいに生まれたら良かったと言っていたけど

20年前に生まれると、現代でも悩まされた問題が解決していなくて

今の時代でようやく解決しはじめているものだから

彼を悩ませた問題1点のみを見ると、20年後に生まれたほうが良かったと思います。

なぜこの時代に生まれてきたのか、その意味を考える

彼は20年前に生まれたくて、私は20年後に生まれたかったのに

なぜこの時代に生まれてきたのでしょうね。

これをやりたいという何か目的があったのでしょうか。

私が習得すべき、この時代でしか体験できないことがあったのでしょうか。

もしも運命というものがあるのなら

何か理由があって、この時代に生まれてきたのだと思います。

その理由とは何なのか知りたい。

彼と私の意見の間を取ってこの時代に生まれてきたのかもしれない

私たちが生まれた年が架空の世界の西暦では3150年だとして

生まれてくる前に

俺は絶対に3130年に生まれたい、えー私は3170年がいい、など討論して

20年前と20年後という真ん中を選んで

「じゃあ間を取って、3150年にしようか」という流れだったのかもしれません。

あくまで空想だけど。

お互い、相手がある場面では自分の意見を通すような性格ではないので

もしも空の上の世界があったのだとしたらそんな感じだったのかなと想像します。

なぜこの時代に生まれたのか考えてみた

二人という視点では、この世で何かをできるのはもう私しかいない

彼と私という視点に焦点をあてれば

彼が先に旅立ってしまった今

この世で行動できるのは、もう私しか残っていません。

本人は気づいていないかもしれないけど

彼は、いろんな人をたくさん幸せにして旅立ちました。だから、

彼はこの世で大業を成し遂げてから天命を全うしています。

 

仮に今、私に自然な寿命が来たとしても

これといったものを何一つ達成していないので

「できること」を毎日、精いっぱいやっています。

ああじゃなきゃ、こうでなきゃいけない、など考えるよりも

できることを頑張っていればそれでいいのではないかと思っています。

できないもの、なれないものになろうとしたって疲れるだけだから。

 

私がすべきこととは何なのだろう。

何のためにこの時代に生まれてきたのか。

それが知りたい。

この時代に生まれてきた理由が欲しい

別に私と彼とは一心同体ではないし

運命など存在しない可能性だってあります。

生まれてきた意味など特になく

生まれてきたのは偶然で

そこに運命も何もなく

ただ生まれてきただけなのかもしれない。

それでも何か理由が欲しい。

優秀な彼とは似ても似つかないけど

悩みの質やテーマが似ていたような気がします。

現代なら私の体調不良には有効な対策がある

今の時代なら私の体調不良には有効な対策があります。それは

普通の人よりも炭水化物を減らして

普通の人よりもたんぱく質を増やすことです。

摂らない、過剰摂取など極端な食事制限は避けて

普通の人がやっても大丈夫なくらいの範囲で米を減らして肉を増やします。

それだけのこと?って思うかもしれないけど、情報がないから見当もつかないし

「一般的な食生活」をしている限りは無理だと思います。

家の中だけだったらできるけど、診断書がない限りは外ではそうもいきません。

私が生まれた時から

現代、ここ数年でようやく一般人にも普及してきたような情報があったら

私は体調不良そしてそれに伴う心の疲労を発症しなかったと思います。

彼も生まれてくるのが20年遅ければ、その悩みを発症しなくて済んだ可能性がありました。

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