やさしさをかけてくれる人、救いの手を差し伸べてくれる人がいても
私が助けを求めず誰にも頼らず一人でどうにかしようとする理由は
自身の性格上頼るのが苦手だから、相手に負担をかけてしまって悪いから、相手に気を遣って自分が疲れるから、といった一般的な理由ではなく
私の思考方法の特徴に対策した結果、誰にも頼らない生き方を選んでいます。

私の思考方法は思いつく限りの選択肢を挙げてから選ぶ
例えば、今日雨が降っているとします。
そこで人はストレートに「雨が降っているから傘を差そう」という答えにたどり着きます。
しかし私の場合は、
今日は雨が降っている
じゃあどうしよう
- 傘を差す
- 傘は荷物になるから持たずに雨に濡れて歩く
- レインコートを着る
- レインブーツを履く
- 自宅にタクシーを呼ぶ
- 自宅にタクシーを呼ぶにしても傘は持っていくか置いていくか
- 鞄をビニールで包む
このように思いつく限りのあらゆる選択肢を出して、その中から
今ある場面に最もふさわしいと思ったものを選んでいます。

こうしようと思ってそうしているわけではなく、この思考方法しかできない。
今すぐ決めなければならない時には、やむをえず一発で答えを出しますが後から考えると「なぜそうしたんだろう…」と自分でも疑問に思う対応をしてしまい、ろくなことがありません。メールなども即答できる内容であっても返事を急ぐ必要がなければ少し考えて半日くらい置いてから返しています。会話や電話はかなり苦手です、聴力が正常な私に非現実的な話ではありますが文字に起こしたい。文字なら推敲してから伝えることができるし3回くらい繰り返し読めば、それなりに解釈できます。実際はそうするわけにもいかないのでトラブルを起こす可能性を減らすために、こちらからは行かない、来たら返す、極力喋らないくらいしか対策できません。
雨の話は例え話であって、さすがに雨が降ったらどうしよう程度だったら直接答えにたどり着くのですが。
あまりに的外れな対応を避けたいから人を頼らない
私が今考えて今すぐに答えを出そうとすると
あまりにも的外れな対応をやりかねない
私はそれを自分でわかっている。
だから、誰かが何かをしてくれようとしても
お言葉に甘えざるをえない状況でもない限りは
「ありがとうございます。」とお礼だけ言って終わりにする。

後から振り返って、我ながら「それをやらなくて良かった」と思ったことは何度もある
普通に考えて絶対にやめたほうがいい選択肢を、私は選んでしまう可能性がある
できれば即決は避けたい、これしか答えはないでしょって思った時でも
可能であれば時間を置いて、よく考えてから一番近い選択肢を選びたい。
「法律違反は絶対にしない」という力強いストッパーがあるから
大事に至ったことはないけど
なにこの人、非常識と思われたことは何度もあると思う。
だから私は人を頼らない。
信じられないような勘違いをしかねないから。
不快感を与えてしまったら相手に悪いからという理由ではなくて
判断は遅いけど現実は理解しているので後で自分が悩んで疲れるから
自分のために余計なことをしない。
できないことをやめて、できることを探したほうがいい
昔の時代だったら性格や気の持ちようの問題、怠慢、努力や経験不足、甘えなどと言われたかもしれないけど
私は、できないことをやろうとしないほうがいいと考えています。
最初から諦めるのは自分の可能性が狭まってしまうから良くないけど、頑張っても何度やってもいつまで経ってもできないのであれば、他の人には当たり前にできることであったとしても、できないことは怠慢でも甘えでもありません。
できないことがある自分を受け入れて、当たり前のことができない人を見かけた時にも責めるのではなく距離を取ることで対応して、色んな人がいることを受け入れたほうが、お互いにやわらかい世界になるのではないでしょうか。
できないことをやろうとしたって自分も周囲も疲れて何もいいことがないので
できないのだということを把握して他の方法や他にできることを探すほうが効率的だと思います。
できないことを諦めることによって他の道が開けることもあります。
どうしてもできないことをやり続けても時間と労力を無駄にした挙句、心を壊すだけです。

私は文章を書くことが好きです。
心の拠り所とは別に人じゃなくても生き物じゃなくてもいい。
嫌なことがあった時、辛い時、私だって嫌だなとか悲しいなとか思っています。
みんなそうだと思うけど、後に自分が疲れるから人前では感情を表に出さないだけ。
人に迷惑をかけない表現の中で、嫌だったこと悲しかったこと辛かったことを
インターネット上の自分のページに書けば
読みたい人だけが読んで、そこに意味があると思っています。
コメント